松原 泰道さん
明治40年東京都生まれ 平成元年、第23回仏教伝道文化賞受賞
「仏教っていうのは、苦労人の宗教だと思っています。釈尊も幼くして親と別れています。まあ、これは宗教は大抵そうでしょう。キリスト教でもそう。宗教には、底の深い人生があるんだってことを、若い方に知っておいてほしい」
明治四十年生まれ松原泰道さんは、そうおっしゃいました。
早稲田大学卒業後、龍源寺住職、臨済宗妙心寺派教学部長などを経験、「般若心教入門」など著作を多数出版されています。どの著作もわかり易い言葉で、読者に仏教というものを身近に感じさせてくれます。今回聞いたお話も、わかり易い例に喩えながら、九十六歳になろうかという松原さんは、流れるように流暢に説明して下さいました。とても明治の生まれとは思えない快活さでした。
仏教的になりますけど、釈尊が晩年に、ほとんど一つの話しかしておられなかったと思うんですね。それは何かというと、「自らを光とし、自らをよりどころにする」だけだったんです。やっぱり、自分のたよりになるものは、深い意味で自分しかないわけです。
そして、そういうことは、何かに行き詰まった時、つまずいた時に、ふと気がつくもんなんです。私もそうだけど、誰しも自惚れをもっているもの。何かの時に自分の力のないことをハッと知り、気がつく。
「転んでも、ただでは起きない」という言葉があるでしょう。あれは一般的には欲の深い言葉となっているけど、考え方によっては転んでも何かをつかむ。つまり、私はいい意味だと逆に考えている。転んだことで何かプラスになる目覚めがあってほしいという意味で取るんですよね。自分がいたらないから、お釈迦様というか仏様につまずかせてもらった。何とか自分で立ち上がれよ、ということでもあると思うんです。
時には、お釈迦様が手を貸すこともあるかもしれません。
よく、子供が転んだ時に、「一人で起きて」と言う母親は多いです。母親が手を貸さないのがいいんだ言います。けどね、何かの本を読んだ時に、転んだ子供に母親が「おお痛い、おお痛い」って自分が転んだような言葉を出したんです。すると子供がすっと立ち上がったの。これは、とっても味わいがある話だと思う。ただ元気をつけるだけではなく、ともに一緒に泣くっていうことが相手を立ち上げさせることになるんだ。人の悲しみが自分の悲しみとなっている。それが、どんなに大きな力になるかっていうことなんです。
私は、三つの時に母と別れて、それから継母と生活していました。けど継母だとは知らなかった。小学校が終わって中学入る時、昔ですから義務教育じゃなくって、試験を受けるために戸籍謄本が必要だった。それを見て、初めて継母ってわかったんです。多感な時代でしょう。裏切られたような感じになった。本当に母親の石塔を抱いて、泣きましたね。色んな苦労もしましたね。けど、不良にはならなかったの。死んだ母が守ってくれた、というのが私の信念です。生みの母の命日が五月二十四日、この日に私は死にたいなって思っているんですよ。
それで、私の父親がなくなったのが三十歳の時でしたが、元旦の朝に突然なくなった。元旦だから大変騒がしい。「おめでとうございます」ってお客がきたら何か変だ。今度は、お悔やみを言うっていう混乱だったんです。色んな人にお悔やみを言われていると、大きな声で言えないけど、うるさくなるんです。ほっといてくれ、一人で泣かしてほしいなと思ったぐらい。
その時に、私の親友がお通夜の晩から、ずっと一言も悔やみを言わなかった。私のそばにいて、手が空いていると黙って手を握っているだけ。人間って勝手なもんで、お悔やみを言われるとうるさいのに、黙っているとまたそれがしゃくにさわる。「お前、悔やみにきたら何とか言ったらいいじゃないかよ」って勝手なことを言ったんです。そしたら、寂しそうに彼が「松原、俺の気持ちをわからんのか。俺は二年前親父に死なれているんだ。だから、お前の気持ちがよくわかる。言葉に出せば出すほど虚ろになるんじゃないか」って言ってくれたんです。友情っていうのはありがたいなって思いました。
今の時代は、人の痛みがわかったり、物事に感動したりできる感受性のある人が少なくなってしまったと思うんです。私の友達で、曹洞宗のお坊さんですけど、野田大灯っていう人がいます。警察の人とも親密になって、野田君の所に色んな相談にくるんです。その日もね、警察で所長の訓示があって、「君達、自分の宿舎からこの警察に来るまで、何か感動したことはないか」って言われて。みんな顔を見合わせて、「何もありません」って言ったら、えらい怒られた。「こういう仕事をしているんだから、感動が大事。そんな無感動なことで、仕事ができるか」と所長に怒られたらしいんです。そしたら、二、三人の警察官が野田君のところに来たんです。野田君は彼らに、「『よく見れば、夏の花咲く、垣根かな』という松尾芭蕉の句がある」って言ったの。夏の草っていうのは、ペンペン草でお世辞にも綺麗だとは言えない。いわば雑草扱いにしているのを、それを芭蕉がただ見るのではなく、よく見つめてみれば、無名の花が一生懸命咲いている。そこに、芭蕉が感動した。そういうことを野田君は言ったんです。
今の人は目立つものしか見ていない。そういう、道端の花に感動する余裕がない。私の持論はね、「心の中に受信機を持とう」です。例えば、物が上から下に落ちてくる。この一つの現象の中に、そこに引力を発見する。誰の前でも落ちるけど、発見したのは一人。私達には、真理が惜しみなく与えられている。けど、みんな受信機が悪いから流れていく。
私は、歌手の淡谷のり子さんが好きだったんですよ。たまたま、彼女がある本に「忘れえぬ人々」というテーマでね、面白いことを書いていた。彼女が音楽学校にいた時、当然のことだけど、どの先生も音楽に関することばっかり教える。ただ一人の先生だけが、「音符だけが音楽じゃない」と教えた。鳥の鳴き声を聞いて、木の葉のそよぎを聞いても、谷川の流れの音を聞いても、それを全部音楽と聞こえる感受性の高い耳を養いなさい。淡谷のり子さんは、それが忘れられない言葉だって言うの。これは素晴らしい人だなと思いましたね。
そういう教育を、今の若い人は受けていない。若い人には、今の教育に何が欠けているかを知ってほしい。
今の人には、芸術に親しみなさいと言いたい。絵でも何でもいい。芸術に親しんでいくと 、感受性が豊かになる。俳句なんかでもそう。ある一人の先生がね、子供に俳句を作るように指導した。「たけのこが、大きくなると、竹になる」みたいな俳句を作る。可愛いんですね。「三年生 、あと二年たてば、五年生」とか。それが大事。これをある先生と一緒に指導したんです。その時にこういう俳句があった。「玄関に、名刺の落ち葉、二、三枚」あなたなら、どう考える? その先生はね、人が訪れたけどいなかったんで枯葉を二、三枚名刺がわりに置いていった、と言う。私は違うと思う。風が吹いてきて、玄関にパラパラと枯葉が二、三枚散ったのを、子供がそれを名刺として詠んだ。僕のほうがいいでしょう。
「風吹いて、洗濯ものが、手をつなぐ」これも子供さんの句なんですが、私がとても好きなやつでね。時々、話すようにしたんですよね。そしたら、私以上に受信装置の素晴らしい女性がいたんです。彼女が長い手紙をくれて、そこに「あのお子さんの俳句で救われました」って書いてあったの。その朝、洗濯ものを干して、私の講演を聞きにいったんです。公演が終わって帰ると、干してた洗濯物が乾いていたんです。並べて干したのに、みんな風が吹いてきて、一緒に固まっていた。あの俳句のとおり。まだあるんですけども、「お恥ずかしいけれど 姑と私は仲が悪かった。夫の母親だから大事にしていたけども......」ってあるの。これは私の想像だけど、洗濯物を干す時に姑さんのは向こうに干して、自分のはあっち、という感じだったんだと思うんです。それが、風が吹くと姑さんのと本当に手をつないだ。濡れている時は、竿にしがみついている。我執があるわけです。その我執がとれれば何のことはない、仲が良くなる。読み手によって、味わう人によって、書いた人以上に作った人以上に感じることができる。芸術というのは、できた時は未完成なんです。
九州の釜で、抹茶茶碗というのは、「釜から出て、お渡しする時は未完成です。後はお客様のお手入れしだいです」と書いてある。できたものを、丹精をしていく。それも自分一代じゃない。先祖からズーッときたもの。
人生もそうなんですよね。「良き人生は一日の丹精にあり」。毎日、いじめられたり、泣いたり、それが丹精で、人生はできている。今みたいにすぐ、感情をむき出しにして、「むかつく」とか「きれた」っていうのでは駄目なんです。
明治の人間は、それをやってきたものね。貧乏やら、何やらずいぶん。明治の人間の生き方のいいところは、そこかなと思っているんです。
外国にホイットマンという詩人がいて、彼の詩にね、「老いたるは自信もちなさい。老いたるは美だ。年をとって、丹精の美だ。泣いたり苦しんだり、色んなことを経験していて美しい」とある。年をとらないと、でない美しさがある。
また、こんな話もあります。徳川時代に、偉い僧がいた。十六歳で法華経を読んだほどの人。その僧が、四十五歳のときに法華経読んだら、受信装置がよくなってて、これはと感じるものがあった。
読書をするんでもね、年齢にあったものをしないと逆にダメですね。例えば、作家の高史明の子供は、中学生の時に自殺しているでしょ。子供が中学へ入学したので、お父さんが、「君は今日から中学生だ。自分のことは自分で責任を持ちなさい」と言った。その一言で自殺したんですよね。それはなぜか。その子供は、ませてたんですよね。読書がさかんで、夏目漱石の「我輩は猫である」とかね「ぼっちゃん」を読むのではない。「門」とか「それから」のような、思想的なものを読んでいた。作中の人物が、「自分がわからない。自分がわからない」って言うのを、子供は読んでいた。「僕もわからない。僕は何もわからない」そこに、「責任を持て」というお父さんの言葉で、自殺しちゃった。それからは、「『責任を持て』と言うのではなくて、『君が着ている服は君が作ったのか? 履いている靴はキミが作ったのか? そうじゃなかろう。多くの力に支えられて生きているんだ』と教えるべきだった」そんなことを言ってる。
人生は、結局途中で終わるのよ。宇宙と比べたら、太刀打ちできない。目的と手段をわけて考えたらダメ。途中で、ダウンしちゃう。人生途中だ。誰かが、私のやっていることを受け継いでくれる。そう考えないと駄目じゃないかな。
<著作.>
・「CD版 聞いて学ぶ仏教 Series1」 アートデイズ
・「五十歳からの人生塾」 海竜社
・「輝いて生きる知恵」 至知出版社
・「サトウハチローのこころ」 共著/校成出版社
・「緑・愛・願」 共著/北水社
・「わが子に伝えたい般若心経のこころ」 明日香出版社
・ビデオ「般若心経を写す・松原泰道」 アートデイズ
・「般若心経入門 276文字が語る人生のl知恵」 祥伝社黄金文庫
・「一日一生五十歳からの人生百歳プラン」 講談社+α新書
・「洗心」 共書/臨済会編・近代出版社
・「釈尊最後の旅と死」 祥伝社
・「人生を照らす智慧ことば」 校成出版社